発達障害者とリモートワーク、新しい働き方について

ポストコロナとかアフターコロナとか、そういう話はなるべくしないでおこうと思っていたんです。流行りに乗った感じが否めないし、今なら話題になるから言うだけ言っとけ感も出そうだし…。

そんなときにコーポレートトランスフォーメーション、会社組織改革について一本コラムをというご依頼をいただきました。

正直、ちょっと僕には手に余る話かとしばらく悩んでいたんですが、ふと思い当たりました。

そういえば、働く発達障害者各位の調子が、最近全体的に良い。そんな気がするのです。

僕も長年発達障害という問題を抱えて暮らして来たわけですが、やはり障害を抱えて働くということは人それぞれの難しさがあります。なので、聞こえてくる話はどうしてもネガティブなものが多くなってしまう。しかし、最近のネガティブな話題といえばほとんどが

「コロナが収束したら、リモートワークが出来なくなる」

これ一つです。コロナ禍によってもたらされた働き方の変化。それがどうやら、発達障害者に高い割合でポジティブな影響をもたらしているようなのです。もちろん、僕が知人にヒアリングをしているだけの調査ですので、参考程度として考えていただきたいのですが。

目次

リモートワークの大きなメリット

コロナ禍によるリモートワークの一般化が始まったころ、発達障害者の明暗はきっぱり別れていました。職場環境が大きな負荷になっていたタイプは効率や生産性が向上し、逆に職場で一定のストレスや制約を受ける方が動きやすいタイプ―締め切りを守ったりコンスタントに作業を行うことが苦手で、誰かにケツを叩かれながら仕事をしたい人―は生産性が低下していました。コロナ禍初期は「リモートワークに手がつかない」という悩みもそれなりに聞いたものです。

しかし最近、この悩みをあまり聞かなくなりました。理由は簡単です。インターネットを通じて従業員を「詰める」のは、意外と難しくなかった。そういうことになります。リモートワークというのは自宅のPCから24時間いつでも上司がニョキっと生えて来る勤務形態と言えますし、必要は発明の母。ついついサボってしまう従業員を「詰める」必要があるならば、企業はその技術を発達させます。

結果として、リモートワークだとついサボったり先延ばししてしまうみなさんの問題は一定の解決を見ているようです。これを手放しで「良いこと」と言えるかは微妙なところですが(自宅のPCから上司が生えてくることの倫理的問題は検討されるべきだと思う)、流石は営利企業です。詰めれば動く人間はちゃんと詰めるに決まっている。

Web会議アプリなどのITツールを上手に活用すればという前提つきにはなりますが、発達障害者のような人間集団の中で立ち回ることに難を抱えた人間は、会社に出勤させてデスクに座らせるよりも、自宅でリモートワークをさせた方がよく動くことが多い。そんな傾向が見えて来ました。おまけに、これまで通勤に使っていた時間と労力が仕事に投下出来るようになった、これも大きいでしょう。僕も電車通勤は本当に苦手です。

一般的なオフィス環境が、発達障害者にとって大きなストレスであったことは間違いありません。高い密度で詰め込まれた人、白色の強い照明、聞こえてくる数多の雑音、苦しいネクタイ…。僕も強い感覚過敏を持っていますので会社勤めをしていた頃は本当にしんどかった。快適な自宅環境で働けるリモートワークのもたらしてくれるメリットは、発達障害者にとって非常に大きい。もちろん、健常者にとっても決して小さくないでしょう。

形式、儀礼、そして仕事の本質

そして、発達障害者たちの調子の良さにはもう一つ理由があります。リモートワークへの移行は、多くの企業にとって初めての試みでした。そうなると必然的に「本質的に必要なことをきちんとこなせば、細かいことはとりあえず気にしない」みたいなやり方にならざるを得なかっただろうと思います。その結果、形式的で非本質的な業務が排除され、仕事の「本質性」とでもいうべきものが高まったのではないか。

会社組織というのは程度に差はあれ、儀礼的な業務をたくさん抱え込んでいます。たとえば、上に決済を仰ぐときは規程のよくわからない書式でスタンプラリーをやり、書類のホチキスは左上斜め45度で(かつての僕の職場にはホチキス角度の不文律が本当に存在しました)とかそういうやつです。朝礼では謎の呪文をみんなで叫んだりしますし、飲み会の翌朝はお礼巡りをしなければいけないかもしれません。こういった会社部族の儀礼文化とでも呼ぶべきものは、リモートワーク移行によって間違いなく激減したでしょう。部族文化の最たるものである「飲み会」すらやれなくなったのですから。

オフィスに集まっての業務が足並みをそろえてパレードだとしたら、リモートワークは散兵が自律的に動く野戦です。隊列を乱さないこと、行進のリズムや腕を振る角度、マスケット銃を掲げるタイミング、そういったものは一気に重要性を失います。「小さく前ならえ」を上手にやれることの価値はとても低くなるのです。職場の気づきにくい人間関係(しかし間違いなくどこかに地雷は埋まっている)に注意を払う、あの空気読みの苦しみも小さくなります。

おまけに戦場もめちゃくちゃでした。コロナで世の中はパニックです。突発的な、前例のない業務も大量に発生したでしょう。そういう野戦的な状況では、形式的で儀礼的なことをきちんとやるより、荒っぽくても本質を抑えた仕事をする方が評価されます。空気を読むことより、まずは前進することが求められます。コロナ禍は期せずして、会社組織がその「本質」に立ち返るまたとない機会になったのではないかと僕には思えるのです。

コーポレートトランスフォーメーション―こまけえことはいいんだよ

いつの間にか会社から勢いが失われ、非本質的で形式的な業務が肥大していくあの現象はどんな会社でも間違いなく起きます。それは僕がかつて経営していた社員数名の零細企業ですら発生しました。

一方で、人間を統率するためには「儀礼」的なものの力が避けがたく必要になる、そういう面は確かにあります。古来より人は集団を統治するために、様々な儀礼文化を生み出して来ました。しかし、「部族の儀礼」は合理性や生産性と必ずしも一致しないという大きな問題を抱えています。デスクを並べたオフィスで社員を働かせるより、リモートワークで居心地の良い自室を職場にさせた方が効率的、そういうことはやはりあり得る。

そんなわけで、僕の提案するコーポレートトランスフォーメーションはとてもシンプル

コロナ禍によるこの社会変化を奇貨として、スタートアップ企業が船出するあの時、事業が栄光の拡大期に差し掛かるあの時、確かに存在するエネルギー。それをもう一度取り戻すことです。「こまけえことはいいんだよ、とにかくやるんだ」そういうやつです。それは儀礼から本質へ回帰し、より快適で生産性の高い働き方を目指すことではないでしょうか。

追伸

それはそれとしてリモートワークによって実質的な24時間働き放題、その上いつでも上司がPCから生えて来る環境が実現したこと。仕事のオンオフがどんどん不明瞭になるフリーランスや経営者が抱えがちだったあの問題が労働者にまで拡大したこと。これは結構大問題です。みなさま過労にはくれぐれもご用心ください。とりあえず、仕事中に飲酒はやめましょう。あれは本当に危険ですよ。良い仕事と良い人生を、やっていきましょう。

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この記事を書いた人

1985年、北海道生まれ。大学卒業後、大手金融機関に就職するが2年で退職。
現在は不動産営業とライター・作家業をかけ持ちする。
著書に『発達障害サバイバルガイド: 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』(ダイヤモンド社)、『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』(KADOKAWA)がある。

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