意識低く行こう~マイクロ起業における意識の持ち方~(借金玉のマイクロ起業 Vol.07)

こんにちは。借金玉です。僕は現在、二足の草鞋で生きています。

  • フリーランスの物書き(フリー)
  • 雇われ営業マン(非正規雇用、歩合制)

でも、今の僕なら、もう少し何かできるのではないか、という思いがあり「マイクロ起業」をしてみました。

今回からは、マイクロ起業における意識の持ち方について考えていきます。

目次

極限まで意識を下げろ!マイクロ起業に志は要らない

「起業には志が大事だ」という主張をされる方は多いですね。僕もそれは間違いではないと思います。大事を成し遂げ社会を変えるような成果を出すには、巨大な意志力が必要になることが多いでしょう。また、苛烈で揺るがぬ意思にはカリスマも発生しますので、それは起業をする上で大事な要素といえるかもしれません。

しかし、僕は特にマイクロ起業において(場合によってはもう少し大きいサイズの起業でも)「その志をまず捨てるべきだ」と考えています。理由は簡単です。起業というの、は徹頭徹尾、資本主義の論理の中で生き抜いていくことだからです。

「正しい志」というものはあります。しかし、志が正しいからといって起業において正しい結果(『儲かる』ということです)が出るとは限りません。むしろ、志の正しさと資本主義社会における正しさを弁別することは、とても難しいと言えると思います。僕もその辺はよくわかりません。

僕にもかつては大きな志がありました。夢もありました。それらを抱えて挑んだ、第一回目の起業が惨憺たる敗北に終わった今だからこそ思うのですが、志や夢それ自体はそれでいいとしても、事業をデザインしたり、実際に動かしたりするときはそれを一度度外視するべきだったのではないかと。「かくあるべき」や「かくありたい」という姿勢ではなく、「かくあるべきか?」という自分の姿勢への問いこそが一番重要だったと感じています。

世界を変えなくていい、まずは市場に居場所を得よう

僕は若手の初創業としては、それなりに大きいと言える資金で創業しました。結果として「資金の力ずくでなんとかする」というような経営スタイルが自然に発生してしまいました。今思うと、これが僕の癌でした。高いお金を払えば人は結構言うことを聞いてくれます。しかし、「高いお金を払ってくれる」以外に存在価値を認められていない経営者が上手な取引を繰り返していけるかといえば、そんなことはあり得ません。

市場というのは関係性の総体だと、僕は思います。そこは、苛烈な奪い合いの場であると同時に、人と人が役割を分担し合い、助け合う場でもあるのです。これは、一見相反しますが、実際のところそのいずれも市場の一側面としての事実ですよね。初創業に挑む時の僕には「市場は弱肉強食の奪い合いだ」という視点しかありませんでした。

しかし、人と人の間に立ち利益を得ていくには、何らかの形で「誰かの役に立つ」必要があります。「全ての仕事は誰かの笑顔を目指している」という言葉を聞いたことがありますが、僕は今更になって「その通りだよなぁ…」と思っています。そして、多くの人の間に立ち、全員を笑顔にすればそれは文句なしに「儲かる」のです。実際、そんなに上手くいくとは限らないし、対立的な関係が発生することも時には避けられませんが、それでも基本的な考え方はそっちに寄せるべきだったと本当に反省しています。

弱者の戦略としての意識の低さ

「世界を変える」のはとても素晴らしいことで、そこを否定する気は毛頭ありません。発明や革新は世界に間違いなく必要だと思います。しかし、「変える」ことには多くのエネルギーが必要になり、避けがたく大きな対立が発生します。市場における弱者が採用する戦術として常に妥当とはいいがたいのではないでしょうか。

僕の現在のポリシーは「少しだけ滑らかにする」です。誰かがちょっと困っていることを、ほんの少しだけ手助けする。その代わり、ほんの少しだけ手助けしてもらう。そういうわけで、僕のキャッチコピーは「その仕事、僕がやります」になりました。(余談ですが、意外とこういうキャッチコピーの力はあなどれないのですよ)

何かを抜本的に変えるのではない、ほんのちょっとの潤滑油になれればいい。もちろん、潤滑油としての優秀さと規模が確保出来た後には「世界を変える」ことに挑んだっていい。

しかし、極小規模の起業をリスタートした現在の僕は、まずは市場に居場所を作り出すことが大事だと考えています。「資金を有している」以外の市場における僕の存在理由を作り出すことが大事だ、と。

たいした能力もない三十男である僕の売りは、起業失敗の惨めな経験くらいしかありません。だから、こういうことをやっています。

ところで、「弱い」立場の人ほど「市場は弱肉強食だ」といった価値観を採用したがる傾向ってある気がしませんか。かつての僕がまさにそのパターンでした。いわゆる新自由主義的な価値観が非常に強かったと思います。しかし、失敗を経て生まれたのは「本当にそうなのかな?」という疑念でした。

もちろん、会社経営は非常にシビアです。従業員、取引先、顧客…それらとの関係には綺麗ごとの入り込む余地のない厳しさはもちろんあります。しかし、「強い者が勝つのだ」という考え方を当然と考えると、弱い僕らが迎えるのは「必敗」という救いの無い結論ではないでしょうか。弱ければ「弱肉強食」では食べられてしまいます。実際、僕は食べられてしまいました。数千万の資金力など、市場の巨大さに比べれば太平洋に投げ込まれた1粒の塩みたいなものでした。かつて僕の下にあったお金、今はどこを流れているのでしょうね…。

いかがでしょう。

起業に志は必要ですが、マイクロ起業には弱者なりの志・意識の持ち方が大事だと僕は考えています。

次回は、「マインドの置き方」について、考えてみます。

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この記事を書いた人

1985年、北海道生まれ。大学卒業後、大手金融機関に就職するが2年で退職。
現在は不動産営業とライター・作家業をかけ持ちする。
著書に『発達障害サバイバルガイド: 「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』(ダイヤモンド社)、『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』(KADOKAWA)がある。

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